夢と現実


 ちきしょう、なんで誰もわかってくれんのだ!
 まず第一の幸福は、夢の中で俺は釘宮とエッチをしたということだ!
 そして第二の幸福は、それを俺が起きても鮮明に憶えていたということだ!
 たかが夢と言うなら言え。
 だがしかし夢を現実と見まごうばかりにはっきりと鮮やかに憶えているとすれば、我々はそれをどう現実の記憶と区別するというのだろう?
 どちらも現在ではないという点で一致し、どちらも頭の中にはっきり行為の記憶として残っているという点でも一致する。
 ここに至って我々は、夢を夢と切り捨てるだけの論理的根拠を持っていないことを直視せざるをえないのである。
 わかるかね? わからぬか。それでもよい。わからぬなら永遠に愚昧なる現実という名の煙霧の中をさまようがいい。
 私が言いたいのはだ。
 夢の中とはいえ、ああも鮮明に、はっきりと、疑う余地もなく、俺と釘宮がエッチをしたというならば!
 ……それはもう、現実に釘宮とエッチをしたと判断しても過言ではないのではなかろうか?



 先日、知人の日記に書かれていたものである。いささか病的な文章だが、病的であることが罪になるわけでもないのでそれは不問としよう。もっとも、病状が進むとどうなるかは別問題だが。

 さて、言うまでもなく「現実」と「夢」との違いは厳然と存在する。これを書いた男は、夢の内容に舞い上がっているのか、それとも単に頭脳がマヌケなのか知らないが、夢を現実と区別できなくなっているようである。だが、哀れむことはない。なんといっても、彼本人が幸せなのだから。哀れんでやるのは、おかど違いというものだ。しかし、哀れんでやるのでもなく、同情してやるのでもなく、馬鹿にしてやるというのは悪くない。アタマの悪い人間に向かって「おまえアタマ悪いな」と言ってやるのは、案外気持ち良いものである。(イジメかっこいい)

 さて、「夢」と「現実」だ。どちらも、彼の言うとおり「過去の記憶」であることは共通している。しかし、ただそれだけである。夢の中で彼が誰とセックスしようと現実にあったことにはならないし、彼が素人童貞であるという現実にも変わりはない。もちろん、彼女(釘宮サン?)が妊娠することもない。

 そう、これが「夢」と「現実」との第一の違いだ。夢の内容は現実世界に影響を及ぼさない(妊娠しない)のである。たとえ彼がいかなる超絶テクを持っていたとしても、それは彼の夢の中だけで処理され、現実に反映されることはない。(夢精とかするかもしれないが、そんなのは知ったことではない。というか想像したくもない)

 第二の違いは、「釘宮サンと寝た」という記憶を自分以外の人間と共有できるかどうかである。釘宮サン本人と実際に寝たなら、それは二人共有の記憶となる。羨ましいじゃねぇかこの野郎。しかし、夢の記憶はそうならない。彼の記憶は彼にしか持てないものであり、釘宮サンの中にそんな記憶はないのである。それどころか、彼女はこの夢を見た男の顔すら知らない。当たり前である。

 夢と現実との違いを簡単に区別する方法がある。それは他人に話してみるということだ。「オレ、釘宮サンとエッチしたよ!」と言うのと、「オレ、釘宮サンとエッチしたよ! 夢の中で!」と言うのとでは、かなりの違いがあることがわかるだろう。夢の中の話など、誰一人まともに取り合わないのである。それが現実だ。

 彼の間違いは、夢の記憶を現実の記憶とすりかえ、それに価値を持たせようとしたことだ。彼は夢と現実との記憶を区別する方法はないと言っているが、実際のところ彼本人が「夢」を「夢」と認識しているのだから、区別はついている。彼は、愚かにもそれを現実だと思い込みたいだけなのである。なんと哀れなことだろう。まさに「夢」だ。

 彼の犯した間違いは、もうひとつある。それは、夢から醒めてしまったことだ。彼の言うところの「夢と現実を区別することはできない」という状態は、夢の中にいるときにだけは効力を持つ。夢の中では、そのとき見ている夢だけが全てだ。極論するなら、彼は永遠に寝ていればよかったのだ。そうすれば、夢を夢だと認識することもなく、現実との区分を考える必要もなかった。彼は第一の幸福とか第二の幸福など間抜けなことを言っているが、本当の幸福は、そのまま目が覚めないことだったのだ。

 だれにでも、一度ぐらい経験があるだろう。目が覚めた瞬間、今の夢がずっと続けば良かったのにと思ったことが。私にも経験がある。それも、たった二日前のできごとだ。どんな夢だったか、今でも鮮明に思い出せる。あたかも現実に起こったことのように。

 それは、小雨の降る日暮れどきのことだった。私は海の見えるレストランで食事をしており、かたわらに一人の少女がいた。彼女はいつものように赤いドレスを着て、長い髪を左右に束ねてロールさせていた。イメージがつかめない人は、人狼審問のヘンリエッタを思い浮かべればいい。まさにあんな感じの少女だった。というより、エッタそのものだったのだ。──なに? そんなキャラは知らんだと? くたばれ。

 彼女はクリームソーダを飲みながら、いま見てきたばかりのペンギンについて色々しゃべっていた。水族館からの帰り道だったのだ。ペンギンがカワイイカワイイと言い募る彼女は、そんな鳥類など比較にならないほどかわいかった。実際にそのことを言ってやると、彼女は顔を赤らめて恥ずかしがり────。

 あああああああ! なんであれが夢なんだよ! ふざけんな! 俺は、今でもあのときのエッタの表情ひとつひとつを思い描くことができるというのにだ! これほどくっきりと刻まれている記憶でさえ、夢は夢だというのか!

 ちきしょう、なんで誰もわかってくれんのだ! まず第一の幸福は、夢の中で俺はエッタとデートをしたということだ! そして第二の幸福は、それを今でも鮮明に憶えているということだ! たかが夢と言うなら言え! だが! 俺はたしかに! エッタとデートしたんだ! それは事実なんだ!

 ──ああ、神よ。お願いだ。俺をもう一度あの夢の中に送ってくれ。そして、そのまま俺の心臓を止めてくれ。それだけでいい。ただそれだけで、夢を現実にすることができるんだ。それが駄目なら、夢の中のエッタを現実世界に送り届けてくれるのでもいい。とにかく、どちらかだ。できれば後者がいい。ついでに、エッタは私の妹であり、血のつながりがないという設定にしてもらえると色々助かる。あと、彼女は甘いものが好きで、歌がうまくて、パズルが得意だという設定も忘れないように。それともう一つ。うちの近所に水族館とオシャレなレストランを作ってくれ。夢に出てきたのと同じやつだ。よろしくたのむ、神よ。おまえにならできるはずだ。



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