ハートチップル賛歌


 ハートチップルが消えた。近所のコンビニから消えた。三日前まで並べられていたハートチップルが、根こそぎ消えうせていた。売り切れではなかった。ハートチップルが置かれていたコーナーには、ドンタコスの姿があった。あの、ドリトスのインチキな模造品。日本産のクセしてメキシコ人の血を騙る、悪辣非道のスナックだ。
 俺は愕然とした。ヒザから力が抜けていき、その場に倒れそうになった。だが、俺は戦士だ。倒れるわけにはいかなかった。力尽きそうになる足で、スナックコーナーを端から端まで歩いた。まるで、サハラ砂漠を歩く気分だった。ハートチップルは、どこにもなかった。
 俺の知るかぎり、ハートチップルを取り扱っているただひとつのコンビニ。それさえもが、ついに裏切ったのだ。俺の愛したハートチップル。だがそれはもう手の届かないところへ行ってしまった。失ってしまったのだ。またしても。
 呆然としながら、俺はピザポテトを買って帰った。そしてクソ安いウイスキーの水割りを作り、泣きながらピザポテトを食った。屈辱的な夜だった。



 俺とハートチップルとの出会いは、四半世紀も昔のことだった。俺は小学生で、駄菓子屋の王だった。あらゆる駄菓子に精通し、すべての駄菓子を愛していた。ハートチップルは、その中でも特別の存在だった。駄菓子なのにニンニクの味がするという点において、ハートチップルはすべての駄菓子と一線を画していた。一言でいうなら、アナーキーだった。パンクの食い物だった。そのアグレッシブかつサイケデリックな味に、俺は心酔していた。あらゆる駄菓子の中で──いや、あらゆる食物の中で頂点に君臨する存在。それがハートチップルだった。

 だが、あまりに先鋭的すぎるその味は、常に周囲からの攻撃にさらされていた。最初のうちは「まずい」「ニンニクくさい」「甘ったるい」という幼稚な攻撃からはじまり、しまいには「体に悪そう」だの「頭が悪くなりそう」だのという攻撃にまで至った。
 くだらない印象操作。程度の低い罵倒だった。だいいち、「体に悪そう」とはお笑いぐさだ。健康を気にして駄菓子を食うアホがいるか? ハートチップルのかわりにキャベツ太郎を食うと、そのぶん長生きできるとでもいうのか? ふざけんな。ハートチップルは体にいいんだよ! 見ればわかる! 頭は悪くなるかもしれんがな!

 俺は、駄菓子屋に行くたびにハートチップルを食った。そのたびに、ニンニクくさいと言われた。知ったことではなかった。俺が買わなければ、ハートチップルはいつまでも棚に残っていた。つまりは、不人気商品だった。
 当時まだ小学生だった俺には理解できなかった。なぜ、こんなにもパーフェクトな食い物が罵倒され、排斥されねばならぬのかと、義憤に駆られる思いだった。そのたびに俺は、ハートチップルを冒涜する連中に無理やりそれを食わせてやった。
 効果は抜群だった。連中は、二度と俺の前でハートチップルをバカにしようとはしなかった。かわりに、俺は教師に呼び出され、殴られた。教師までもが、ハートチップルの敵だった。そうして、俺の生涯は反体制派として染め上げられることとなった。

 やがて、ハートチップルは駄菓子屋から消えた。俺の義援は力およばず踏みにじられ、ごみくずのように捨てられた。その日から、ハートチップルをさがす俺の旅が始まった。つらく長い旅だった。あるときはスーパーマーケット、あるときはコンビニで、ハートチップルを見かけることもあった。「ハートチップス」と書かれたポップを見ることも少なくなかった。そうした誤表記を見るたびに、俺は止めどのない怒りを覚えた。
「なぜハートチップルはチップスじゃないのか」というテーマで論文を書いたこともある。国語の授業中に。評価はC+だった。やはり教師はハートチップルの敵だった。俺は学校の便所でその原稿を燃やした。翌日、全校集会で怒られた。やつらには、ハートチップルのことなど何もわかってはいなかった。

 そうしていつのまにか、俺は高校生になっていた。永続的にハートチップルをあつかっている店は、どこにもなかった。安住の地は見つからず、いつしか俺はハートチップルではなくピザポテトを愛するようになっていった。
 ピザポテトは素晴らしい食い物だった。二十代の前半期を、俺はウォッカとピザポテトだけで過ごした。ピザポテトがあれば、あとは何もいらなかった。だが、カロリーが高すぎた。俺は日に日に肥えてゆき、結局は食事のかわりにピザポテトを食うことにした。無論、ピザポテトを食えば酒を飲むに決まっている。こうして、俺は一日中酒を飲むようになった。しあわせな日々だった。

 しかし、心のどこかではハートチップルを求めてやまない自分がいた。たしかにピザポテトはうまい。完璧だ。だが、ハートチップルにはピザポテトにない魅力があった。ピザポテトは、あまりに優等生すぎた。エロゲーでいえばメインヒロインのような存在だった。俺は物足りなくなっていた。俺の伴侶となるべきは、もっと尖った存在でなければならない。そのことに、ようやく俺は気付いた。そうして再びハートチップルを求める旅が始まった。

 そのころ、革命が起きた。ハートチップルがリニューアルされたのだ。その名も、スーパーハートチップル。最初からスーパーな存在であるハートチップルが、さらにスーパーになったもの。それがスーパーハートチップルだった。サイヤ人がスーパーサイヤ人になったようなのとは次元が違う。
 適切な例で言うなら、これはただの「マン」が「スーパーマン」になったようなものだった。ただのマンは空も飛べないし、地球を逆回転させることもできない。だがスーパーマンは違う。これがどういうことかというと、つまりスーパーハートチップルは地球を逆回転させることができるということだ。にわかには信じがたい話かもしれないが、事実である。俺は見た。それぐらいスーパーなのだ。

 期を同じくして、もう一つのレボリューションが起こった。近所のコンビニにハートチップルが置かれたのである。おそらく、コンビニにもわかったのだろう。この革命されたハートチップルが、昔のハートチップルではないということが。しかも、スーパー化されたにもかかわらず値段は据え置きという、マリア様も裸足で逃げだすほどの良心的行為!
 これはもはや、買うしかなかった。──否。買い占めるしかなかった。事実、俺はコンビニの棚にあるハートチップルをすべて買った。そして家に帰り、ウォッカを飲みながら貪り食った。俺の部屋はニンニクとアルコールの匂いに包まれた。至福だった。



 そうして十年がすぎた。あっというまの十年だった。スーパーハートチップルは俺を裏切らなかった。いつ、どんなときでも、俺の腹を満たしてくれた。完璧な相棒だった。五年間つきあった女に振られた夜でも、ハートチップルだけはそばにいてくれた。俺たちの間には、信頼があった。けっして崩れることのない信頼が。
 だがしかし、それももはや昨日までのことだった。コンビニからハートチップルは撤去された。何故と問いかける俺の言葉は、むなしく消えるのみだった。あるいは、俺がもっと買っていれば良かったのかもしれない。俺がもっと売り上げに貢献していれば、ハートチップルは永遠にその場所にありつづけのかもしれない。だが、すべては手遅れだった。俺は失ってしまったのだ。ハートチップルを。そして人生の半分を──。



 昨日ここまで書いたんだが、今日コンビニ行ったらあったよ! ハートチップル! やふー! まるで、不治の病で死んじまったと思ったヒロインが実は生きてましたってな気分だぜ!
 つーか、驚かせるんじゃねーよ、近所のセブンイレブン! すこし反省しろ! そして、ハートチップルはもっとわかりやすいところに置け! 具体的にはレジの横に置け! いや、それさえも面倒だ。最初からすべての買い物かごにハートチップルを入れておけ! わかったな!



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