不完全自殺マニュアル


 無職の私にとって、自殺は非常に身近なものである。ブックマークの『実用』カテゴリには自殺系サイトが5つほど登録されている。他殺系サイトも登録されているが、こっちは後日語ることにしよう。今回は、自殺の手段についてだ。

 周知のとおり、自殺の方法のうち最もポピュラーなのは首吊りである。例年6割ほどの自殺者が、この手段を選んでいる。数々の手段が存在する中で毎年のように6割達成というのは、じつにすばらしい成績だ。イチローもこれぐらいヒットを打ったら良いと思う。まさに自殺界のマジョリティ。圧倒的多数派である。
 首吊りのすぐれた点は、成功率の高さにある。脳への酸素供給を直接的にカットするという性質上、発見が早くなければ確実に死ねる。10分以上ぶらさがっていれば、まず間違いない。そのくせロープ一本あれば良いのだから、これほどリーズナブルな自殺手段はほかにないと言ってよかろう。
 欠点といえば、死体が失禁する可能性があるぐらいのものだ。しかし死体の汚れなど、ほとんどの自殺手段について言えることである。たいした欠点とはならない。むしろ、これほどパーフェクトな自殺手段が存在するのにあえて他の手段をとるほうがナンセンスだ。それぐらい、首吊りはすぐれている。
 しかしだ。私は、この方法だけはとりたくない。理由はカンタンだ。あまりにも多数派すぎるからである。自分で認めるのもなんだが私はヒネクレ者なので(だから無職なので)これから自殺しようというときに凡庸な手段を選びたくはない。どうせ死ぬなら、個性的に死んだほうがいいに決まっている。
 考えてもみてほしい。もし死後の世界があったとして、自殺者同士の会話があったとしよう。その様子は、多分こんな感じだ。

「私は十年前に自殺しましてねえ。ええ、もちろん首吊りですよ。おたくは?」
「私も首吊りです。借金苦が原因で」
「そうですか。首吊りはねぇ。あれはラクに死ねるでしょう」
「ええ。首にロープをかけて、こう踏み台を蹴ったと思ったら、もう。あっというまにこっちの世界でしたよ」
「でしょう。やっぱり確実に死ぬには首吊りですよ。ねぇ」

 こんな会話、ちっとも面白くない。
 だが、こういう会話だったらどうだろう。

「私は十年前に自殺しましてねえ。ええ、もちろん首吊りですよ。おたくは?」(コピペ)
「私は爆死です」
「え? ば、爆死?」
「ええ。ダイナマイトを両手に持って、こう。ドカーンと」
「そ、それは壮絶ですな」
「いやあ、あれは気持ちよかった。最後に一花咲かせてやりましたよ。はっはっは」

 どう考えても、こちらのほうが面白い。あこがれると言ってもいい。そういうわけで、私は首吊りなどという多数派に埋もれたくはないのだ。そこで、首吊り以外の自殺方法を模索してみることにする。



 自殺の手段として二番目に多いのは、飛び降りである。具体的には「高所からの墜落死」ということになっている。ちなみに1960年代までは飛び降りの地位に入水自殺があった。高層ビルが少なかったためであろう。
 ここでふと思ったが、滝に飛び込んだ場合は飛び降り自殺になるのだろうか。それとも入水自殺になるのだろうか。二時間ドラマなどでは、犯人が罪を告白して断崖から海に飛び込んだりする。あれは、どういう判定をされるのだろう。
 途中の岩場にぶつかって死んだら飛び降り自殺、どこにもぶつからずうまいこと海に落ちたら晴れて入水自殺。そういう感じだろうか。だが、途中で岩場にぶつかったものの死にきれずに海へ落ちた場合どうなるのだろう。そのあたりは審査委員にゆだねられるのだろうか。

「あの稚拙なぶつかりかた。あれでは飛び降りの認定はできませんね」
「いやいや。あの衝撃を見てください。彼はあの時点で死んでいます」
「いえ、まだ生きていますね。ほら、目があいている。彼は海に落ちてから死んだ。つまり入水自殺です」
「しかし、岩場への衝突がレベル3以上のダメージであったことは疑いない」
「レベル3では判定基準に達しません」

 こんなやりとりがされているに違いない。いや、これは私の作った話だが。年間かなりの数の犯人がこの形で死んでいるので、どうかはっきりさせてほしい。できればテロップで流してほしいぐらいだ。「なお、この犯人は判定の結果『入水自殺』と断定されました」とかいう具合に。視聴者もスッキリする。

 話がそれた。飛び降り自殺についてだ。この方法の最大のメリットは、「何も用意しなくていい」ということである。首吊りには、どうしても自らの首を絞めるための紐状のものが要求される。その気になればズボン一枚でも首は吊れるというが、いずれにせよ用意は必要だ。それに、死後パンツ姿で発見されるのは少々格好悪い。
 その点、飛び降りには何も必要ない。手ぶらで良い。両手に荷物をかかえて飛び降りる人はいないし、ズボンを脱いで飛び降りる人もあまり見かけない。お手軽である。高層ビルや崖を見つけて、あとは落ちるだけで良い。ニュートン先生に感謝しよう。ありがとう、万有引力。(首吊りにも適用されているのは内緒だ)

 しかし、飛び降りには作法というものがある。これが面倒だ。まず第一に、飛び降りるに際しては靴を脱がなくてはならない。靴を脱いでそろえ、遺書を置き、それから飛び降りるという段取りになっている。流派によっては、上着も脱がなくてはならないとか、脱いだ上着は靴の手前に置かなくてはならないとか、そうでなくて上着は靴の下に敷くのだとか、いろいろ決まりがある。
 遺書を置く場所も大変だ。靴の中に入れておくべしとか、靴の手前において重石を乗せておけとか、そもそも遺書など書くべきではないとか、百家争鳴と言って良い。

 ある自殺者などは、あまりに神経質であったため(それが自殺の要因になったのだが)飛び降り自殺を決行するに際して入念に準備をおこない、可能なかぎりの作法に配慮して死ぬことにした。
 彼は自殺の前にすべての身辺整理を終え、遺族全員にあてて遺書を書き、確実に邪魔の入らない高層ビルの屋上に立ち、おろしたばかりの靴を脱いで綺麗にそろえ、その靴の横に遺書を30通ばかり並べて重石を乗せ、上着を脱いで丁寧にたたみ、念のためシャツとズボンも脱いでパンツ一枚になり、しかしあまりにマヌケな姿だったと思いなおしてネクタイをしめ、これでよしとばかりに飛び降りたのだが、落下途中で腕時計をはずしていなかったことに気付いてこれを戻しにいこうと思い、がんばったものの果たせなかった。
 このように、飛び降り自殺を完璧におこなうのは難しい。



 首吊り、飛び降りに次いで多い手段は、ガス自殺だ。私の尊敬する川端康成も、この方法を選んでいる。あれほどのエロ小説──ではなく文学作品を残した彼が、ガス自殺を選んだのは何故だろう。
 康成の自殺した70年代、ガスは石炭ガスであった。これは炭酸ガスを含むため──という解説は面倒なので、やめておく。カンタンに言えば、昔のガスは現代より死にやすかった。言いかたを換えると、昔のガスは難易度が高かったのだ。しかし今は安全規制のため死ににくいガスになってしまった。ゆとり世代向けのガスなのである。なにしろ、不思議のダンジョンシリーズ最新作では死んでもレベルが継続される仕様になるぐらいの世の中だから、ガスだってぬるくなるに決まっている。いっそ、ガス会社に抗議したいところだ。
 たまに都市ガスやプロパンガスで自殺しようとする人間がいるが、これは非常に失敗しやすい。ガス自殺しようとして死にきれず、気分を落ち着けようとタバコに火をつけた瞬間爆発するというマヌケな事故が、年に何件も起きている。ドリフのコントじゃあるまいし、自殺するのにそんなオチは必要ない。だいいち、近所迷惑だ。ただし爆死という言葉の響きはカッコイイので最初からそれを狙うなら実行する価値はあるかもしれない。(近所迷惑に変わりはない)

 現代でガス自殺というと、多いのは練炭自殺である。インターネットの自殺系サイトでも、いっしょに練炭自殺しませんかなどという書き込みが多く見られるし、現実に実行されている。自殺に対して肯定的な私でも、ああした呼びかけは正直どうかと思う。まるでキャッチセールだ。自殺するときぐらい一人でやれと言いたい。
 以前、自殺サイトのBBSで「俺と一緒に練炭やりませんか。ぜんぶコッチで用意します。アナタは来てくれるだけでオッケー。秘密遵守します。一緒に死にましょう!」という非常に活気あふれる書き込みを見たことがある。
 いまどき、スパムだってもうすこしマシな文面を作るだろう。というより、おまえは本当に自殺する気があるのかとつっこみたくなる文章なのであった。なんでそんなホストクラブみたいなノリなのか。
 しかしながら恐ろしいことに、この書き込み主は後日しっかり本懐を遂げた。それも、希望どおり相手を見つけて。この人は自殺なんかしなくても良かったのではないかと、今でも思う。(死んだ本人もそう思っているかもしれない)

 練炭自殺はなかなかすぐれた手段なのだが、ひとつ欠点がある。練炭を買わなければならないということだ。(当然だ)。だが、ここで問題が起こる。言うまでもなく、私は酒が好きである。練炭を買う金があったら酒を買ってしまうのだ。(これも当然だ)。なんてことだろう。死ぬときにまでカネがかかるなんて。私は、タダで死ぬ方法をさがしているのだ。
 というわけで、練炭は却下である。同様に、睡眠薬による自殺なども却下される。だいいち、致死量分の睡眠薬を用意するとなったら万単位の費用が必要だ。そんなもん、酒を買ったほうがずっといいに決まっている。睡眠薬で死ねるのはブルジョワだけなのだ。畜生。



 カネのかからない自殺としては、列車に飛び込むという方法もある。いちばん安い乗車券分の現金は必要だが、さすがの私でもそれぐらいは用意できる。もし用意できなければ、踏切で飛び込んだって良い。飛び込み自殺をすると遺族に対して鉄道会社から莫大な賠償請求が来るというが、あれはウソだ。なにしろケタはずれの金額なので、個人で払えるわけがない。無駄な請求をするほど、鉄道会社もヒマではない。
 列車への飛び込み自殺は、非常に成功率が高い。ほぼ確実に死ねる。ここで物理の授業だ。直線運動をする物体の運動エネルギーは、質量と速度の二乗に比例する。速度もさることながら、列車の質量に着目だ。自動車なんかとは比較にならない運動エネルギーを有していることがわかるだろう。人間一人を挽き肉みたいにするぐらい、造作もない。

 よし、それなら列車への飛び込み自殺で良いではないか。そう思うかもしれない。だが、問題がある。飛び降り自殺に作法があるように、飛び込みにも作法が存在するのだ。ある自殺の権威は列車の前にうずくまったほうが良いと言い、ある識者はレールの上に横たわったほうが良いと言う。横たわるにしても、仰向けになるかうつぶせになるかという論争が控えている。また、飛び込む際に靴を脱ぐか脱がないか、上着を脱ぐか脱がないか、ズボンを脱ぐか脱がないか、そういう点にも配慮しなければならない。
 ある自殺者などは、あまりに神経質であったため飛び込み自殺を決行するに際して入念に準備をおこない、可能なかぎりの作法に配慮して死ぬことにした。
 彼は自殺の前にすべての身辺整理を終え、遺族全員にあてて遺書を書き、死亡率に定評のある中央線を選び、使い古した靴を脱いで綺麗にそろえ、その靴の横に遺書を並べて重石を乗せ、上着を脱いで丁寧にたたみ、念のためシャツとズボンも脱いでパンツ一枚になり、しかしあまりにマヌケな姿だったと思いなおしてネクタイをしめている間に駅員に見つかり、数時間にわたって説教を受けた。
 このように、飛び込み自殺を完璧におこなうのも大変むずかしい。



 やはり、首吊りにまさる自殺手段は存在しないのであろうか。
 思いつくまま列挙してみよう。

・手首切り → 痛い。
・焼身自殺 → 熱い。
・凍死 → 寒い。
・拳銃自殺 → 持ってない。
・餓死 → (´・ω・`)

 こうして、すべての自殺手段が否定されてしまった。
 おかげで私はまだ生きており、くだらない雑文を書いているというわけだ。



NEXT BACK INDEX HOME